漫画名作ランキング

漫画の名作ランキング(歴代)

漫画名作ランキングです。日本のコミックの歴史に残る歴代の傑作マンガの順位。【昭和編】です。1位は「あしたのジョー」、2位は「サザエさん」。2009年に朝日新聞が「もう一度読みたい昭和のマンガ」と題してインターネットでアンケート投票を行いました。

    

トップ1021~30位31~40位41~50位

1~10位

順位 題名、作家 説明
「あしたのジョー」

(原作:梶原一騎、作画:ちばてつや)

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【動画】
動画~テレビ「あしたのジョー」の第1話→

動画「あしたのジョー2」の主題歌「ミッドナイト・ブルース→

動画「あしたのジョー2」の挿入歌「果てしなき闇の彼方に」→
1968~1973年に「少年マガジン」に連載。 主人公は矢吹丈(ジョー)。 ボクシング劇画。 特等少年院を退院し、東京の下町の山谷(荒川区)に流れ着いた少年、矢吹丈。 ボクシングジム会長の丹下段平から指導を受けながら、力石徹、カーロス・リベラ、ホセ・メンドーサらと死闘を繰り広げる。 完全燃焼するジョーを描いたラストシーンは、漫画史に残る名場面として感動を呼んだ。

1970年からはテレビアニメにもなった。

1970(昭和45)年3月24日、ライバルの力石徹の葬儀が営まれた。 葬儀はアニメの主題歌の作詞を手がけた劇作家(げきさっか)の寺山修司を中心に企画された。

ドラマチックな話の展開がうまく、ボクシングに精通した梶原一騎(かじわら・いっき、1936~87年)と、心理描写に優れ、温かい心の触れ合いを大事にする、ちばてつや。名コンビが生みだした傑作。 作画のちばてつやは、東京の下町で生まれてすぐ、一家で満州(現中国東北部)へ渡った。そこで終戦。日本人社会に危険が迫り、ちば家も父親の知人の家の屋根裏に隠れ住んだ。外から聞こえる中国人の子供の遊び声が、うらやましかった。てつや少年は幼い弟たちをふびんに思い、得意な漫画を描いて励ました。

原作の梶原一騎は当時、高森朝雄といペンネーム(名義)を使った。
「サザエさん」

(長谷川町子)

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昭和を代表する四コマ漫画。 朝日新聞に四半世紀にわたって連載された。 老若男女が楽しめる家庭漫画である。 子どもからお年寄りまで万人に喜ばれるマンガの理想を成し遂げた。

戦後間もない1946年、福岡の夕刊紙「フクニチ」で連載開始。 1949年4月から朝日新聞に移った。 1974年までの25年間にわたって、日本国民の人気を長期間にわたって独占した。

舞台となるのは磯野家。三世代同居、七人家族。 主人公の「サザエさん」は磯野家の長女である。 家付きの主婦という人物設定。 父は波平、母は舟、弟でいたずら盛りの長男がカツオ、二女がワカメ。 入り婿となったサザエの夫がマスオで、その間に生まれた子供が長男のタラという構成になっている。

作者の長谷川町子(まちこ)は大正9年に佐賀県で生まれた。 幼少のころに父を失った。 母と三人姉妹で上京した。敬けんなクリスチャンであった 東京・山脇高等女学校に通学していた16歳のとき、「のらくろ」の作者で名高い田河水泡(たがわ・すいほう)の内弟子となった。

その後、東京の空襲被害が激しくなったため、 1944年に、一家で福岡に疎開した。 そこで、自給自足の農作業をしながら、ニワトリ小屋の上で書きつけたのが、サザエさん誕生の第一歩だったという。

長谷川町子は女性漫画家の先駆けになった。作品とはウラハラに、自ら人前に出ることを好まなかった。 不眠、どうき、胃切除などに悩まされながら、その苦悩の中から読者に対するサービス精神を表現し続けた。

72歳で亡くなった。冠動脈硬化症による心不全だった。 姉とは「入院、手術はしない」「葬儀・告別式はせず、密葬」「納骨が終わるまで公表しない」と約束していたという。 このため、死亡が公表されるまで1か月以上かかった。 独身を貫き、姉との二人暮らしだった。

本作には、日本人の家庭観、家族観の原風景がある。 展開するドラマも、極めて平均的、日常的なもだ。 そこに読者は親しみを感じる。 平凡な生活の中の庶民の笑いがある。 昭和以降の新聞漫画の原型ともなった。

若い男性が妻の両親宅に同居することを『マスオさん現象』と呼ぶ流行語を生んだ。

アニメ放送は1969年からのロングラン。「国民的番組」として高視聴率を稼ぎ続けた。
「いじわるばあさん」

(長谷川町子)

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長谷川町子が1966年~1971年に週刊誌「サンデー毎日」に連載した4コマ作品。 主人公・伊知割イシは、憎めない意地悪を繰り出して家族や町の人を困惑させまくる。

1980年代には実写ドラマ化もされた。後に東京都知事になるコメディアン青島幸男が主演。 青島さんは、着物と前掛け姿に白髪のカツラをかぶってギャグを振りまき、視聴率30%以上を稼いだこともあった。

2009年には、大人気シリーズ「家政婦は見た!」の女優・市原悦子の主演で再びテレビドラマになった。

「いじわるばあさん」を連載する前の1957年~1964年には、長谷川さんは同じ雑誌に「エプロンおばさん」を書いていた。
「巨人の星」

(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)

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1966~1971年に「少年マガジン」に連載。スポ根物の最高峰。原作梶原一騎、作画川崎のぼる。

スポ根漫画の元祖。野球の世界を舞台に、 主人公の投手、星飛雄馬(ほし・ひゅうま)の苦闘を描く。

野球の道でさまざまな苦難を乗り越えていく過程を描くのが物語の縦糸、そして、ライバルとの戦い、そこから芽生える友情が横糸。これが原作者、梶原一騎さんの構想だったという。 星飛雄馬、花形満、左門豊作といったライバル選手が登場する。

物語は星飛雄馬の父、一徹のエピソードで始まる。長嶋茂雄の巨人入団発表の席上、後に監督になる川上哲治が回想するシーンだ。一徹は戦争中の肩の負傷を補うために編み出した「魔送球」が原因で、一度も公式戦への出場を果たせないまま巨人を去った幻の名三塁手という設定だった。

最初の山場は夕日のシーン。父・一徹によって野球のスパルタ特訓を受ける少年・星飛雄馬が、高校生の王貞治に心・技で“完敗”。野球を憎む飛雄馬は、初めてその奥深さにふれ、涙する。〈父ちゃん……/野球には男が命を懸(か)ける値打ちがあるんだね……〉。

連載が回を重ねるにつれ、スパルタ教育の一徹が話題を呼んだ。「親子の断絶」「マイホーム主義」などという言葉が使われ始めたころだ。子供に甘く、しかれない時代。息子を殴りつけ、大リーグ養成ギプスでしごく一徹は対極の存在に映った。

テレビのアニメとしても大成功した。
「鉄腕アトム」

(手塚治虫)
巨匠・手塚治虫の代表作。 1951年(昭和26年)3月生まれ、雑誌「少年」に「アトム大使」として連載が始まった。狂気の天才・天馬博士が交通事故で死んだ息子の代わりに作ったロボット少年の物語は、以後17年間にわたり「少年」に連載され、アニメとして映画、テレビにも進出。戦後世代で「アトム」を知らない人は1人もいないと言われた。全集物を含め5回も出版され、合計3500万冊も売れた超ベストセラーになった。

舞台は21世紀。科学省長官の息子が交通事故で死ぬ。悲しみの余り、狂気に陥った長官は、息子そっくりの精巧なロボットの製造を思い立つ。科学省の総力をあげ、コンピューター内蔵の、人間もどきのかわいいロボット少年が誕生する。

長官は、息子がよみがえったと思い、少年を慈しむが、少年はロボットゆえに成長しない。怒った長官は、一転、少年をサーカスに売り飛ばしてしまう。見せ物になっていたロボット少年が、偶然科学者のお茶の水博士に拾われ、ここから「鉄腕アトム」の活躍が始まる。ジェット噴射で空を飛び、そのパワーは10万馬力(後に100万馬力にアップ)。正邪を見分ける判断力も、繊細な感情もある。操る言葉は60カ国語。スーパーヒーローの能力を与えられて、少年は生まれ変わる……。

10万馬力の力を持ったアトムは正義感にあふれ、宇宙を舞台にさまざまな悪と果敢に戦う。育ての親、お茶の水博士、かわいい妹のウランちゃんなどわき役のキャラクターも忘れがたい。戦争の記憶がまだ生々しい時期、科学技術の勝利をうたう「鉄腕アトム」は時代の夢と希望にぴったりと合って、多くの人々の心を引きつけた。

ハリウッドでフルCGアニメも製作された。
「宇宙戦艦ヤマト」

(松本零士)
「カムイ伝」

(白土三平)
時は江戸時代、社会の最下層に生まれたカムイは、その境遇からの脱却を図り、忍者の世界へ。しかしそこでも忍のおきてに逆らい、「抜け忍」となる。農民のリーダーとなって改革を目指す正助、自らが属する武士階級への疑問を抱く竜之進、金の力で権力に対抗しようとする商人・夢屋。多彩なキャラクターたちが身分制度に対し闘いを挑む、壮大なスケールの社会派大河ドラマだ。

 第一部が完結して半世紀以上もたつのに、その登場人物たちやストーリーの輝きは失われていない。1990年ごろにやっと第二部がスタートし、断続的に「ビッグコミック」(小学館)で連載。1970年代にテレビアニメ化された。抜け忍カムイと追っ手との戦いを描いた「カムイ外伝」もある。
「赤胴鈴之助」(あかどうすずのすけ)

(第1話:福井英一、第2話以降:武内つなよし)
時代が戦後の荒廃から高度成長へと移り変わるころ、全国の子供たちを「赤胴鈴之助」が魅了した。子供たちが遊びに興ずる広場からは、必ずといっていいほど、「鈴之助」の主題歌が流れてきたものだった。

 漫画は「少年画報」誌に昭和二十九年八月号から三十五年十二月号まで連載され、その間、ラジオや映画に紙芝居、それに創成期のテレビと、当時のメディアすべてに「鈴之助旋風」が巻き起こった。

 作者はスポーツ漫画の先駆けともされる柔道漫画「イガグリくん」の福井英一さんだったが、初回を脱稿した直後に死去し、以後は武内つなよしさんが引き継いだ。愛犬シェーンとともに「ウー、ヤー、ター」のミラクルボイスで悪者をやっつける「少年ジェット」の作者も武内さんだが、氏も昭和六十二年に故人になってしまった。

全メディアに旋風起こす

 「竹胴をつけて道を歩けば『ヨッ、赤胴鈴之助』と声を掛けられたものです」と懐かしそうに語るのは、この春、剣道七段に合格した陸上自衛隊の富塚義久さん(45)。鈴之助全盛の昭和三十年代の初めに剣道を始め、合格率十数パーセントと昇段試験では最難関とされる七段に、わずか三度目の挑戦でのぼりつめた。

 こうした現代剣道の土台を築いたとされるのが、幕末の三大道場の一つ、北辰一刀流・千葉周作の道場。漫画の中で、父親の形見の赤胴を手に、金野鈴之助が入門した道場だ。鈴之助は、周作や生き別れとなっていた母親のお鈴から、ただ勝つことや、無用に人を傷つけるだけの剣が間違いであることを学ぶ。

 「必ず正義が勝ち、人を殺さない。そんなところが当時の社会にマッチしていたのでしょう」と話すのはアース出版局社長の伏見雅明さん。「赤胴鈴之助」の復刻版全十三巻を出版し、オールドファンの絶大な支持を受けている。

 「とにかく、ちゃんバラごっこに五寸くぎをつぶしての手裏剣作り、すべてが赤胴鈴之助の影響だった」(富塚さん)という時代だ。テレビゲームも塾もなく、男の子はみんな、外で遊んでいた。

 全日本剣道連盟事務局長の白石盛彬さんは、「戦後、進駐軍の施策で逆境にあった剣道界も、二十七年ごろから活動を再開し、鈴之助人気との相乗効果で再び興隆期を迎えた」と振り返る。

 漫画は、武者修行に出た鈴之助が数々の苦難を乗り切り、明治維新における新生日本への期待に胸膨らませる場面で幕を閉じる。それから三十余年。ちゃんバラ遊びもすっかり過去のものになってしまった。
「ブラック・ジャック」

(手塚治虫)
10 「タッチ」

(あだち充)

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11~20位

順位 題名、作家 説明
11 「ベルサイユのばら」

(池田理代子)
12 「火の鳥」

(手塚治虫)
13 「ゴルゴ13」

(さいとう・たかを)
14 「美味しんぼ」

(原作:雁屋哲、作画:花咲アキラ)
15 「エースをねらえ!」

(山本鈴美香)
16 「風の谷のナウシカ」

(宮崎駿)
17 「おそ松くん」

(赤塚不二夫)
18 「ドラえもん」

(藤子・F・不二雄)
19 「ルパン三世」

(モンキー・パンチ)
20 「銀河鉄道999」

(松本零士)

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21~30位

順位 題名、作家 説明
21 「オバケのQ太郎」

(藤子不二雄)
22 「ドカベン」

(水島新司)
23 「うる星やつら」

(高橋留美子)
24 「ガラスの仮面」

(美内すずえ)
25 「あさきゆめみし」

(大和和紀)
26 「はいからさんが通る」

(大和和紀)
27 「伊賀の影丸」

(横山光輝)
28 「サイボーグ009」

(石ノ森章太郎)
29 「キャンディ・キャンディ」

(いがらしゆみこ)
30 「鉄人28号」

(横山光輝)

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31~40位

順位 題名、作家 説明
31 「アタックNo.1」

(浦野千賀子)
「めぞん一刻」

(高橋留美子)
33 「リボンの騎士」

(手塚治虫)
34 「俺の空」

(本宮ひろ志)
35 「のらくろ」

(田河水泡)
「フジ三太郎」

(サトウサンペイ)
37 「キャプテン」

(ちばあきお)
「ゲゲゲの鬼太郎」

(水木しげる)
「DRAGON BALL」

(鳥山明)
40 「アドルフに告ぐ」

(手塚治虫)

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41~50位

順位 題名、作家 説明
41 「愛と誠」

(原作:梶原一騎、作画:ながやす巧)
「課長島耕作」

(弘兼憲史)
43 「三丁目の夕日」

(西岸良平)
44 「じゃりン子チエ」

(はるき悦巳)
45 「天才バカボン」

(赤塚不二夫)
46 「Dr.スランプ」

(鳥山明)
「笑ゥせぇるすまん」

(藤子不二雄A)
48 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」

(秋本治)
「北斗の拳」

(原作:武論尊、作画:原哲夫)
50 「8マン」

(原作:平井和正、作画:桑田次郎)

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